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小さな話をタレ流す雑記ブログ

ブラック企業に勤めて失ったもの

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今年のブラック企業大賞が発表されましたね。この報道もすっかり日本の風物詩であるかのように定着してきた感があります。
 
実は過年、私の勤めている会社も『ブラック企業大賞』に見事ノミネートされました。
 
過酷な労働環境である事は重々承知していましたが、まさか10年以上勤めてきた会社が、この時流に乗って汚名を晒す事になるとは思いませんでした。

 

ブラック企業の汚名は会社を変える事が出来るのか

 
この栄えある賞に堂々と名を連ねて、まず世間の見方に変化がありました。
 
取引先や顧客と話をしていても話題として挙がってくるようになり、この流行り言葉の影響力を肌で感じていたのです。そして自分の会社が良い方向へ向かう事に、少なからず期待もしていました。
 
しかしながら、社内の体制や風土が変化する様子は全くありません。そして同僚たちの反応も「まぁ当然だろうね」という程度の素っ気ないもの。
 
身近でも話題には挙がるものの、関心は薄いように思えました。そう、経営者でもない一介のサラリーマンにとって、会社の風聞など他人事でしかないのです。
 
この報道によって業務に支障が出る事もなく、社内では不気味なほど平然を装っていました。そして体制や規則が変わる様子もまるでありません。
 
会社を大きく成長させてきた歴史や伝統が、そうした汚名を否定していたのかもしれませんね。
 
 

ブラック企業の本質とは

 
前述のように、この報道によって社内での目立った動きや変化はありませんでした。と同時に、不自然さを覚えました。自分の勤めている会社の事であるにも関わらず、あまりにも社内での反応が薄かったからです。
 
『諫言耳に逆らう』のならまだしも『のれんに腕押し』という言葉がピタリと当てはまりました。悲しい事に。
 
外から見れば単なる憐れみの対象でしかない報道ですが、社内ではもっと違った反応があって然るべきだと思います。使い古した言葉を借りるなら『愛社精神』があっても良さそうなものだと。しかし現実にそれを感じ取る事は全くありません。
 
そしてここにこそ、ブラック企業たる所以があるのではないかと感じました。長時間労働パワハラ、残業代未払い、コンプライアンス違反など々々は全て結果論であり、ブラック企業の本質とは『無関心な企業風土』の事ではないかと考えるに至りました。
 
 
 

ブラック企業』という言葉は未だ発展途上である

 
そもそも『ブラック企業』という言葉はインターネットから派生した、いわばスラングのようです。にも関わらず昨今では政治家でさえ公用語のように口にするようになっていますね。しかし、この言葉が実として効力を発揮するにはまだまだ先の事なのでしょう。
 
なぜなら、この報道によって世論を味方につける事は出来ても法的な効力は今のところありませんし、会社のイメージを大きく損なうほどのダメージもありません。あくまでジャーナリズムを煽るところまでです。もちろん一過性のものであっても、こうした風潮を正す動きがあるのは良い事だと思います。
 
今年に入って『ブラック企業規制法案』が可決されました。これが今後どのような実効力をもつのか分かりません。
 
しかし話題性のある問題である事も確かなので、政治家がコマーシャリズムを利用しただけの法案であるとするならば、やはり根本的な解決にはなり得ないでしょう。今後どのように実を結んでいくのか、その経過を測るには今しばらく時間がかかりそうです。
 
 

ブラック企業と呼ばれて気付いた事

 
私の会社がブラック企業に名を連ねた時、ふと過去のサラリーマン人生を振り返るきっかけとなりました。辛かった事ばかりが思い出されますが、同時に周囲で支えてくれた同僚の顔が次々と浮かびます。
 
そしてある事に気がつきました。この会社に勤めてから10年以上もの間、仕事以外の記憶がありません。思い出されるのは苦労を共にしてきた職場仲間の顔ばかり。つまりプライベートにおいての記憶が無いのです。
 
仕事以外に何もしなかったわけではありません。妻や会社の仲間と1泊程度の旅行へ行ったり、遊びに行ったりした事はありました。とはいえ2〜3年に1回あるかないかという程度でしたから、何やら漠然とした記憶だけです。
 
その間に結婚もしましたが、仕事が忙しかったため式は挙げずに書類を提出しただけでした。もちろん新婚旅行へ行く暇などありませんでしたから、結婚したという事実だけが残っています。
 
家も購入しましたが、これまた忙しかったため不動産屋へほぼ全て任せきりで引っ越しが大変だった記憶しかありません。
 
愕然としました。今の会社へ勤めてから15年以上もの間、記憶を失ってしまったかのように年齢だけを重ねてきたのだと気付いたのです。
 
それなりの役職には就いたものの決して裕福なわけでもなく時間的な余裕もありません。ブラック企業に勤めてからの時間には何の軌跡も残されていませんでした。人生の何分の1かの記憶を失ってしまったのです。
 
お金は生きて行く上で必要ですから、仕事を否定する気はありません。しかし記憶を失って生きる事は寂しいものです。
 
ですから、これから先をサラリーマンとして生きて行く上で記憶を大事にしていこうと思います。いえ、記憶というより『思い出』を残していこうと思います。
 
ブラック企業を選んだのは自分の責任ですから、全てを会社のせいにするつもりはありません。自分の人生を豊かにするのも自分の努力次第ですからね。
 
 
 
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